みなさんは、「17歳の帝国」というドラマをご存じでしょうか?
ドラマ内で出てきた言葉に、なんだか考えさせられました。
名言ちっくな言葉って、面白いですよね。
学生時代に聞いたときは、綺麗ごとに感じたり、薄っぺらく感じることもありました。
社会人になってみると、なんだか心に響く。
悲しいんだか、嬉しいんだか、複雑な思いです。
「自分が決めた人生なら、人生に振り回されても耐えられる」
「17歳の帝国」はNHKで放送され、すでに最終回を迎えているドラマです。
5月21日(土)22に放送された第3話で、こんなセリフがありました。
「自分が決めた人生なら、人生に振り回されても耐えられる」。
かつて目にした名言に、近いものあった気もします。
でも、今の私には響きました。
確かに、そう在りたいな、という憧れの気持ちが沸きあがりました。
ぶっちゃけ、「時と場合によるよなぁ?」という懐疑的な気持ちも、残ってはいるんですけどね。
自分の人生に自分で責任を持つのは、重い
私は、打たれ弱い人間です。
す~ぐに悩んで落ち込みます。
感情に振り回されることもしばしば。
現在取り巻く環境に、不満もあるし、逆に、恵まれてるな~と思うこともあります。
この浮き沈みが、「人生に振り回される」に近いと解釈しました。
今の環境は、選択の連続で、たどり着いた場所なのは間違いありません。
色んな物語で、よく目にするテーマです。
思い浮かぶのは、タイムリープもの。
バタフライエフェクト、なんでキーワードも代表的ですよね。
辛い状況に置かれたとき、過去の選択を恨めしく思うことは、度々あります。
なんで、この学校を選んだんやろ?
なんで、この仕事選んでもたんやろ?
なんであの時、もっと頑張らへんかったんやろ?
後悔先に立たず、です。
そんな時に大事になってくるのが、「自分で決めた」という主観。
もう少し、個人的な感覚に寄せると、「こうなったのは○○のせいだ」という、他責の感情の有無です。
自分の人生で、一番辛いときに辛いのは、自分です。
自分の人生なのに、他人にコントロールされた結果辛いなら、納得できません。
諦めがつかないんですよね。
甘ったれな私にとって、自分の人生に自分で責任を持つのは、重いです。
でも、いつまでも、他人に生殺与奪の権を・・・、自分の辛さ、そして幸せをコントロールされたままなのって、それこそ辛いんじゃない?って気づいたんです。
「自分で決めた」という主観を持てる選択を目指そう
人生における壁にぶち当たったとき、過去の選択を悔やむことがあります。
現状はこれまでの選択の結果だからです。
悔やむ選択を、なにかのせいと思ってしまうのは、実は辛いことです。
今まで感じてきた嬉しいひと時も、自分で掴み取った確信が得られないからです。
もちろん、誰かが助けてくれたから、という感謝も大切ですよね。
でも、あくまでも、自分の人生で何かが起こって、一番影響を受けるのは自分です。
自分で責任を持つ心構えがあってこそ、そばにいる人に感謝を向けられます。
覚悟がないと、そばにいる人に感謝を向けるか、恨みを向けるかは、すべて結果に依存してしまうからです。
上手くいけば、感謝。上手くいかなければ、恨み。
こんなに悲しいことはありません。
だからこそ、「自分で決めた」という主観を持てる選択を目指すことに、憧れます。
旅立つ勇気が持てる
他責は無意味で、虚無感が襲います。
だって、「なんであの時!」と例えば誰かを責めても、信頼が失われるだけです。
だからこそ、「自分で決めた」という腹の据わり方ができれば、前に進めます。
もし壁にぶち当たっても、他でもない自分が決めやがったんだから、最終的には許してやるしかありません。
何か壁を超えるなり、避けるなり、壊すなり、見なかったことにするなり、し始められます。
違う道に進むでも、自分をなんとか納得させて、旅立つ勇気が持てると、怖いものなしですね。
以上、『「自分が決めた人生なら、人生に振り回されても耐えられる」はNHK「17歳の帝国」の名言だった』のお話でした。
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