雲行きの怪しい交流スタート
先日、5歳の親戚の男の子と、初めて遊びました。
私は小さい子と遊んだことが、ほぼありません。どうコミュニケーションを取ればいいのか、右も左も分からない状態です。
初対面で、お互いに緊張していることもあって、「はじめまして〜」から名乗ってみたんですけど、目を合わせてもらえず。
「いやー、申し訳ないです。急にテリトリーに上がり込んでしまって……」っていう恐縮の気持ちが沸いてきます。
雲行きの怪しい交流のスタートを切りつつも、彼のお母さんと、こちらの連れを交えて、会話が始まりました。
交代で彼と遊びながらも、やっぱりお母さんが良いんです。そりゃあ、そうだ。会話の途中、5歳の彼はちょっと乱暴気味な大声でお母さんに、「アレして!」「コレしろーっ!」と指示を出し始めます。
客人たちの前であることもあって、お母さんは指示に従っていました。
私もカエルになってみた
会話がひと段落ついて、お母さんが用事で席を外しました。居合わせたからには、親戚の子とコミュニケーションを試みたい。
まずは、同じ目線になるように一緒にフローリングに座り込み、「これ、かっこいいミニカーやね」って声かけてみました。
すると、にやっと笑って、ミニカーが走る姿を見せ始めてくれました。
彼が、ミニカーを追いかける時に、カエルのようにぴょんぴょん跳ねて追いかけます。
跳ねる彼の後ろ姿を見た私は、「カエルさんやなぁ」と、思ったことをそのまま口にしました。
すると彼は、「ゲコゲコ」と鳴き真似をしながら跳ね出します。
私も、「ゲコゲコ」と鳴き真似しながらカエル飛びで彼の後を着いて行ってみました。(えっ。)
ここから、彼との交流の流れに変化が表れ始めました。
見せてくれた誇らしげな表情
彼も私もカエルになりました。(なったんです、はい。)
なので当然、会話は「ゲコゲコ」です。(当たり前のことですね。)
まだカエルになりたての頃の会話は、日本生まれのニンゲンだった名残で、
「私たちはカエル、ゲコ!」「そうだゲコ!」。
生まれなおした種族を、互いに確認し合いました。
言語は、日本語の語尾に「ゲコ」が付いただけの、どうぶつの森ばりにクセの強い口ぐせ状態。
地べたに手をつきながら、カエル跳びで家の中を移動し始めます。
カエルの身体がなじんできたころには、
「ゲコゲコぉ?」「ゲコ~!」。
立派なカエルに成長し、カエルの鳴き声のみで会話が成立するようになりました。(拍手。)
カエルになった私に、試練が立ちはだかります。家の玄関の段差です。
正直、低めの段差で、ケガをするものではありません。
実際5歳の彼は、高い身体能力と強い勇気で、軽々と下に降りました。
しかし私にとって、カエル跳びで、段差を降りるのは怖かったんです。
先導する彼に、なんとかSOSを伝えなければ・・・!
「ゲコゲコぉ……」と身体をガタガタ震わせて、首を振って鳴いてみました。
それに対して彼は、頼もしく、大きく一つ頷きます。
再び段差の上に引き返し、段差を安全にゆっくり降りて、見本となる姿を示してくれました。
彼に教わった通りの、安全で怖くない降り方に習って、無事、安全に降り切ることに成功しました。
私は「ゲコゲコぉ!」と笑顔で、彼に対してぺこりと深く一礼。
彼は嬉しそうに、そして誇らしそうに「ゲコゲコ〜!」と何度も頷き返したのであった・・・。(完。)
なんだ、このカオスな空間は。
5歳男児と成人済みの女が、ヤンキー座りで満面の笑みを浮かべながら「ゲコゲコ」と鳴くサマは、客観的な視点では想像したくありませんね。回想している時点で映像は浮かびますが、必死で恥を振り払っています。
5歳の彼が、初めて私に誇らしげな表情を見せてくれたのだから、これでイイのだ。
5歳の彼にとっては、突然の海外留学!?
5歳の彼とは、言語を「ゲコゲコ」のみに絞ったことで、コミュニケーションが豊かに、そして円滑に進みました。
初対面の挨拶での、遠い距離感からのスタートから、楽しく遊べて嬉しい限りです。
一番驚いたのは、さっきまでの子供らしい態度だった彼と、頼もしい彼とのギャップです。
彼がお母さんからの注目を集めるために、「コレしろーっ!」と大声を上げていた子供らしい姿。
そして、カエルごっこでの、頼もしく誇らしげな姿。
彼の立場に立ってみると、当然のことでした。
5歳の彼にとって、大人たちに囲まれて会話をされることは、急に海外の人たちに囲まれ会話が始まったのと同じように感じるということだからです。
覚え始めたばかりの拙い言語で、知らない文化圏の人たちに囲まれて会話し始められるんですよね。
そんな中で、自分の居場所を確立するにはどうすればいいか?
同じレベル感の言語や文化は使えない。なら、お母さんに要望を伝えて、叶えてもらおうというのが、精一杯の答えだったのではないでしょうか。
私も大人になって、語彙力が増えました。色んな人がいる事を知って、日本の人間社会における文化の経験も、否応なく日々積み重ねさせられています。
しかし改めて考えると、ことばに頼りすぎているかも、と気づきました。
「ゲコゲコ」で遊ぶ時、表情はもちろん、身体の様子まで、お互いの全身からメッセージを拾おうと努力します。
ことばって便利ですよね。
「困ってるから助けて」と言われれば、相手の状態も伝わるし、自分も寄り添いの言葉をかけるでしょう。
でもそれで、本当に相手の心が満たされるかは別。
相手の下がった眉や、緊張で上がった肩や強ばった身体の様子から、困っていることを受け取る。
そうやって気づいてあげられたら、深い信頼感を感じてもらえるかもしれませんよね。
もちろん、こちらの心からの気持ちも、お相手が汲み取ろうとしてくれたら嬉しいですね。
便利な「ことば」に頼り過ぎない
これから幼い子供さんと遊ぶときは、言語を制限して会話してみようと思います。
日ごろから、便利なことばに頼りすぎないこと。相手をしっかり見て、コミュニケーションをはかる大切さを学びました。
深い信頼関係を築こう
お相手をしっかりとみて会話をすることは、大切なこと。
ことばだけの、「大丈夫」と言われたような状況などでも、しっかりと状態を汲み取る努力をしたいものですね。
より深い信頼関係を築くきっかけになります。
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