代り映えのない日常って退屈ですか?友人と会う非日常は、新鮮で幸せでしょうか。
私には20年間に渡って通学、通勤、友人に会う日にも通っている道があります。日常の象徴で、あって当たり前の道。好きも嫌いもありません。
ところが先日、何百回と通っている道で、初めての発見をしました。
ミニチュアの花を見つけた
買い物のために、いつもの道を歩きます。ふと、アスファルトの間に咲く雑草が目に留まりました。
ん?なにか白いものが見える気がする。
小さい花に気づきました。
左下に映っているのが人差し指の爪なので、2ミリぐらいのミニチュアサイズ。かわいい!
何百回も通ってきた道ですが、こんなにかわいい花に気づいたのは初めてです。テンションが上がってしまいました。
小さな花を見つけて「幸せ~」って!頭の中メルヘンなお花畑なの?羨ましいことね。と軽く見て、自分には関係ないからと遠まきに見ていた時期がありました。けれどもし、心から幸せと思えるのなら本当に羨ましいことです。
日常でしかなかった場所で、ひとりでに気分が上昇するできごとは、心に響く体験でした。
日常から幸せに気づける
ミニチュアってかわいいですよね。花ってキレイだし癒されます。いつもの道でも、周囲の環境を観察するのは楽しいです。日常から幸せに気づけるならそれほどお手軽なことはありませんよね。
最近、自分の幸せって何だろう?なんて考える機会がありました。幸せについて考え出したら、当然のように日常がおっくうになる。「退屈だ~。幸せになりた~い」と投げやりなセリフが、日常生活を占めていました。
ぶっちゃけ、私にとっての幸せは人間関係に直結しています。人との仲で、嬉しくもなるし傷つきもします。それは昔も今も変わりません。ですが気を付けなければならないのは依存です。1つに依存していたら、失った時のリスクが大きすぎますよね。
幸せの要素も、いくつかあるに越したことはないでしょう。人間関係以外で幸せってなにがあるのか。それは日常の風景の中から、新しく気づくアンテナです。気づく日もあれば何も気づかない日もあります。それは友人と会っても、幸せと思えるときもあれば虚しくなるときもあるのと同じです。
人との関係という外の刺激から幸せを得るか、自分から観察して内側から幸せに気づくか。それぞれ違った幸せへのアプローチです。
ずっと住んでいる家でも、いつもの風景でも、新鮮な気持ちで観察してみるのは楽しいです。
全く同じを観察しよう
毎日が退屈しなくなる1歩は、日常を観察することです。全く同じ道や家の中でも、観察してみる。
もし新鮮な出来事に気がつけると愛着が湧きます。
退屈を抜け出す1歩
幸せの要素は、増えるに越したことはないです。外から得る幸せだけに偏らず、自ら気づいて得る幸せも取り入れれば、喜びの幅が広がります。
退屈な風景なのか新鮮な風景なのかは、自分の見方次第ですね。
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